※この記事は、筆者のnoteに掲載した記事です。
前編では、1964年生まれの私が池袋西口で過ごした少年時代を書いた。銭湯、ローラースケート、インベーダーゲーム、繁華街の呼び込み、そして区画整理による立ち退き。昭和の泥臭い街の記憶と、2043年に向けて動き出した再開発への複雑な思いを綴った。
→祭りとコミュニティが、街の魂をつくる 。【前編】池袋西口、私の原点はこちら
後編では、場所を深川に移そうと思う。
今、私が仕事の拠点としているのは門前仲町だ。自宅は千葉にある。海や自然が広がる、のんびりした場所だ。そこから毎日この街に通っている。不動産の売買・仲介を生業にして長い年月が経つ。門前仲町を仕事の拠点にしながら、隣町の清澄白河にも足を運ぶ。この後編では、そこから見えてくる「街とコミュニティ」について書いてみたい。
門前仲町に引き寄せられた理由
正直に言うと、門前仲町を仕事の拠点に選んだのは偶然ではないと思っている。
この街には、どこか自分が引き寄せられる空気がある。永代通り沿いの居酒屋、富岡八幡宮の鳥居、路地に並ぶ個人商店。池袋西口とは全く異なる街の成り立ちだが、「整備され尽くしていない、人間の体温が残っている」という点で、何か共鳴するものがあるのかもしれない。
渋谷や新宿のオフィス街とは違う。門前仲町には「地元」がある。商店街に顔なじみがいて、神社があって、居酒屋がある。そういう街だ。
不動産の仕事をしていると、街の「体温」のようなものがわかってくる。物件を案内しながら、街を一緒に歩く。その時に感じる空気感というのは、データには出てこない。門前仲町は、その体温が高い街だと思う。
池袋西口で育った自分が、この街に根を張って仕事をしているのは、やはり理屈ではなく引き寄せられたのだろう。
清澄白河が問いかけること
門前仲町から歩いて10分ほど。同じ江東区内を少し北へ歩くと清澄白河に着く。
この街が「カフェの街」として全国区の知名度を得たのは、2015年にブルーボトルコーヒーの日本1号店がオープンしてからだ。古い木造倉庫をリノベーションした店舗は、下町の街並みに溶け込みながら、世界水準のコーヒー文化を持ち込んだ。その後、国内外のスペシャルティコーヒーの店が次々と集まり、今では「東京のコーヒーの聖地」と呼ばれるまでになった。
では、これは「成功」なのだろうか。
確かに多くの人が訪れるようになった。街の知名度は上がり、新しい文化が根付いた。しかしその一方で、家賃が上がり、古くからの住民や商店が出ていくという話も聞く。いわゆるジェントリフィケーションの波だ。新しい文化が入ってくることで、元からあった「雑多さ」や「人と人の距離感」が少しずつ失われていく。
木場の材木商の街だった歴史が、大きな倉庫建築という「箱」を残した。その箱をリノベーションしてカフェにした。古いものと新しいものが混在している、という意味では根っこは残っているのかもしれない。ただ、そこに暮らす人々の顔ぶれが変わっていくとすれば、それは本当に街が続いていると言えるのだろうか。
これは清澄白河だけの話ではない。池袋西口の再開発にも、同じことが言えるのかもしれない。270mのタワーが建ち、街が整備されるほどに、かつてそこにいた「人間の匂い」は薄れていく。その問いを抱えながら、それでも再開発への期待を捨てられないのが、正直なところだ。
門前仲町・越中島エリアの再開発と、私の願い
今、門前仲町の周辺でも再開発の波が来ている。各プロジェクトの詳細はすでに別の記事に書いたので、そちらに譲りたい。
→ 門前仲町・越中島の大規模開発完全ガイド|3つのプロジェクトで変わる街の未来
ここで私が書きたいのはデータではない。
再開発が完成した後も、富岡八幡宮の例大祭は続いてほしい。商店街の店主には残ってほしい。路地の居酒屋でなじみの顔に会えるこの街であってほしい。そういう街だからこそ、仕事の拠点として居続けたいと思っている。
それが、私の正直な願いだ。
「祭りのある街」は、なぜ強いのか
売買・仲介の現場で長年働いていると、あることに気づく。
長く愛される街には、必ず祭りがある。
富岡八幡宮の例大祭——深川祭——は三年に一度、東京の夏祭りの中でも屈指の規模を誇る江戸の大祭だ。私がここでお神輿を担いでいるのは、単なる趣味ではない。この祭りを通じて、街の「コミュニティの厚み」を体感しているからだ。
神輿を担ぐ人たちは、町会のおじさんも、越してきたばかりの若い住民も、商店街の店主も、みな同じ法被を着て同じ方向へ走る。その一体感の中に、街の「底力」があるように感じる。
不動産の価値は、建物の性能や立地の利便性だけでは決まらないと思っている。「そこに住み続けたいと思えるか」——その感情的な引力が、長期的な街の魅力を支えるのではないだろうか。祭りやコミュニティの強さは、その引力の源泉のひとつだと思う。
池袋西口のふくろ祭りも同じだ。1968年から続く、担ぎ手4,000人・来場者100万人の祭り。あの規模の祭りが半世紀以上続いてきたのは、街に「地元」があるからだろう。再開発後もその土台をしっかりと残し、ふくろ祭りがこれからも続いていってほしいと、心から思っている。
街選びの哲学──数字より「祭りと人情」
お客様から「どの街がいいですか?」と聞かれることがある。
路線図と地価と利便性を並べて答えることもできる。でも本音を言えば、私はいつもこう聞き返したくなる。
祭りに行くと、街の本質が見えてくる気がする。どんな人が住んでいて、どんなコミュニティがあって、商店街がどれだけ元気で、子どもや高齢者がどれだけ街に出てきているか。その全部が、祭りの一日に凝縮されているように思うからだ。
私が門前仲町を仕事の拠点に選んだのも、清澄白河を隣町として大切にしているのも、突き詰めれば同じ理由なのかもしれない。この街には「人と人の距離感」がある。池袋西口で育った私が、半世紀を経ても求め続けているものが、ここにはある。
数字で見れば正しい選択が、人生で正しい選択とは限らない。街も同じではないだろうか。効率や利便性だけで選んだ街で、人は長く幸せに暮らせるのか。私にはそう思えない。
池袋西口へ──祭りとコミュニティを残してほしい
2043年、高さ270mのタワーが西口に建つ。
その時も、ふくろ祭りが続いていてほしい。地元の商店街が残っていてほしい。あの雑多な裏路地の空気が、どこかに息づいていてほしい。
清澄白河は、古いものと新しいものを共存させることに成功した。倉庫の街が、世界中のコーヒー好きが訪れる街になった。それでも下町の祭りは続き、商店街は生きている。あの成功は「壊さなかった」から生まれたのだと思う。雑多さの上に新しい文化が乗っかった。根っこは変わっていない。
池袋西口の再開発に携わる三菱地所、東武鉄道、そして豊島区に、一人の元住民として、そして不動産の現場で働く人間として伝えたいことがある。
超高層タワーは建てていい。オフィスもホテルも作っていい。でも、ふくろ祭りの神輿が練り歩ける道幅を残してほしい。地元の商店会が祭りを担える空間的・経済的な基盤を、タワーの足元に確保してほしい。計画外の笑い声が生まれる余白を、どこかに残してほしい。
祭りはコミュニティの核だと思っている。それが続く限り、街の魂は消えないと信じたい。
最後に──三つの街が教えてくれたこと
池袋西口で生まれ、埼玉へ移り、社会人になって板橋、転勤で高崎、結婚して板橋に戻り、その後千葉へ。
自宅の周りは海や自然が広がる、のんびりした場所だ。それはそれで気に入っているのだが、だからこそ門前仲町に来ると、人と人の距離感のようなものをより強く感じる。振り返れば、私はずっとそういう街を求めて動いてきたのかもしれない。銭湯、ローラースケート、ゲーセン、繁華街の呼び込み、ふくろ祭りの神輿。子どもの頃に体で覚えたものが、街を見る時の自分の基準になっているのだと思う。
不動産の仕事は、突き詰めれば「人と街を結ぶ仕事」だと思っている。物件のスペックではなく、その街で人がどう生きるかを一緒に考える仕事だ。
住めば都、とよく言う。でも私に言わせれば、都になる街とそうでない街がある。祭りがあって、人情があって、地元がある街は、都になりやすい。だからこそ、私は「祭りと人情」にこだわり続けるのだろう。
2043年、79歳の私が池袋西口の新しいタワーを見上げる時、
その足元でふくろ祭りの神輿の声が聞こえてくれれば、それで十分だ。
株式会社トラストリー代表取締役/深川くらし編集長
宅地建物取引士・2級ファイナンシャルプランニング技能士深川エリアを拠点に不動産仲介とリノベーションを手がけています。不動産・建設業に携わって約40年。バブル崩壊・リーマンショック・東日本大震災を経験してきました。現在は千葉・外房の自宅と深川の事務所を行き来する2拠点生活を送りながら、メディア「深川くらし」を通じて、この街の暮らしと不動産にまつわる情報を発信しています。note:https://note.com/k_shibata
参考資料
・門前仲町・越中島の大規模開発完全ガイド(深川くらし、2025年11月)
・清澄白河ガイド(GO TOKYO 東京観光公式サイト)
・富岡八幡宮例大祭公式資料
・豊島区「池袋駅西口まちづくりについて」(2024年)
※本記事は筆者のnote(https://note.com/k_shibata)に掲載した記事を、深川くらし読者向けに一部加筆・編集したものです。



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