東京・江東区深川に伝わる「深川八幡祭り」。正式名称は富岡八幡宮例大祭といい、神田祭・山王祭と並ぶ「江戸三大祭り」の一つに数えられています。
「水かけ祭り」の異名を持ち、担ぎ手にも観客にも威勢よく水が浴びせられる、江戸っ子気質そのものの祭りです。
なぜ水をかけるのか、なぜ「わっしょい」と叫ぶのか、なぜ3年に一度だけ「本祭り」と呼ばれるのか――地元メディア『深川くらし』が、その歴史と由来、知っておきたい特徴をまとめました。
富岡八幡宮の創建と、例大祭のはじまり
富岡八幡宮は寛永4年(1627年)、当時「永代島」と呼ばれた浮島に創建されました。やがて社の周辺には門前町が形成され、木場の木材業、佐賀町の倉庫業、新川の酒問屋街などが発展していきます。力仕事に携わる担ぎ手が多い土地柄もあって、深川の祭りは代々威勢のよさで知られるようになりました。
例大祭そのものの始まりは、それから15年後の寛永19年(1642年)。江戸幕府の命により、三代将軍・徳川家光の長男(後の四代将軍・家綱)の世継ぎ祝賀を執り行ったのが起源とされています。翌年から神輿が渡御するようになり、やがて町と町、人と人との「和」を結ぶ祭礼として深川の暮らしに根づいていきました。
富岡八幡宮の格式の高さを物語るのが、大相撲との深いつながりです。貞享元年(1684年)、江戸幕府は富岡八幡宮の境内で春・秋二場所の勧進相撲を許可しました。以後およそ100年にわたり本場所が境内で開催され、この間に定場所制度や番付制度の原型が確立されたことから、富岡八幡宮は「江戸勧進相撲発祥の地」と呼ばれています。境内には歴代横綱の名を刻んだ「横綱力士碑」(明治33年建立、高さ3.5m・重さ20トン)が今も鎮座し、新横綱誕生の際には奉告祭が行われます。
江戸三大祭りの中でも「神輿」が主役
深川八幡祭りは、神田祭・山王祭とともに「江戸三大祭り」の一つに数えられ、約380年の歴史を誇ります。大火、関東大震災、戦災と幾多の困難を乗り越えながら、時代を越えて受け継がれてきました。
江戸三大祭りをそれぞれ言い表したこの言葉が示す通り、深川の祭りは「神輿」が主役です。神輿を中心とした祭礼の形は、時代を経た今も変わらず受け継がれています。
「わっしょい」の意味 ―「和を背負う」
神輿を担ぐ掛け声は地域によって「ソイヤ」「エッサ」などさまざまですが、深川八幡祭りでは「わっしょい、わっしょい」で統一されています。この掛け声は「和を背負う(わをしょう)」が転じたものという説があり、担ぎ手同士が心を一つにして神輿を支える、深川の祭りらしい掛け声だといわれています。
別名「水かけ祭り」の由来
深川八幡祭りが「水かけ祭り」と呼ばれるのは、沿道から担ぎ手へ威勢よく水が浴びせられるためです。江戸時代には涼しい旧暦8月(現在の暦で言う9月頃)に祭りが行われていましたが、明治以降は新暦の8月開催となり、真夏の炎天下での渡御となりました。暑さをしのぎ、担ぎ手の無事息災を願って浴びせられた清めの水が、いつしか祭りを象徴する風物詩として定着したと考えられています。バケツや水鉄砲を手にした観客も、この水かけには気軽に参加できます。
個人の水かけだけでなく、地元の消防団やトラックによる勢いのある放水も本祭りならではの名物です。豪快な放水を浴びて神輿がしぶきに包まれる様子は、沿道の一体感をさらに盛り上げる見どころのひとつになっています。
3年に1度だけの「本祭り」―本祭りと陰祭りのサイクル
深川八幡祭りは毎年8月に行われますが、その内容は年によって大きく異なります。3年を1サイクルとして「本祭り」「陰祭り」「御本社祭」という異なる形式で執り行われるためです。
日本一の黄金神輿 ―「一の宮」「二の宮」神輿
1991年に奉納された「御本社一の宮神輿」は、重さ4.5トン、高さ4.39メートルという規格外のスケールを誇る、日本一の大きさとされる神輿です。屋根には純金約24kg、鳳凰の胸に7カラット、目に4カラットのダイヤモンドが使われるなど絢爛豪華な造りで、あまりの豪華さと重量のため、実際に担がれたことはほとんどありません。
1997年、実際に渡御するための神輿として製作されたのが「御本社二の宮神輿」です。重さ約2トン、鳳凰の目には2.5カラットのダイヤモンドが埋め込まれています。御本社祭の年には、この黄金神輿が氏子各町を巡り、沿道を沸かせます。
忘れてはならない記憶 ― 文化4年・永代橋崩落事故
深川八幡祭りの人気を物語る出来事として、江戸時代に起きたある大事故が今も語り継がれています。文化4年8月19日(1807年9月20日)、12年ぶりとなる祭礼を一目見ようと、江戸市中から多くの群衆が永代橋へ押し寄せました。折悪しく橋の通行が一時止められたことも重なり、詰めかけた群衆の重みに橋が耐えきれず、中央部よりやや東側が崩落。死者・行方不明者は合わせて1400人を超えたとされ、史上最悪の落橋事故として記録されています。
祭りを彩る伝統芸能 ― 手古舞・木遣り・纏
深川八幡祭りの魅力は神輿だけではありません。渡御の行列を先導するさまざまな伝統芸能もまた、江戸の粋を今に伝える見どころです。
神輿を先導する女性たちの粋な舞姿が「手古舞」です。かつて深川は辰巳芸者と呼ばれる粋な芸者衆で名を馳せた土地柄で、その芸者たちが得意とした芸能がルーツとされます。男髷(おとこまげ)に片肌脱ぎの襦袢、たっつけ袴、わらじといった凛々しい男装姿で、右手に金棒、左手に提灯を持ち、木遣り歌にあわせて練り歩きます。
祭りの随所で耳にする独特の節回しの歌が「木遣り歌」です。もともとは木場の筏師(川並)が材木を鳶口一つで操る際、息を合わせるために即興の詩を乗せて歌った労働歌がルーツ。木場の木遣は江東区の民俗芸能にも数えられ、材木の大きさによって節回しが異なるなど、職人の暮らしが色濃く残る芸能です。
祭りの列を彩る「纏」は、もともと江戸の町火消が組ごとに掲げた意匠豊かなシンボル。木場の材木業とゆかりの深い「木場の角乗」(角材の上でバランス芸を披露する伝統技)とあわせ、木場・佐賀町といった木材・倉庫の町として栄えた深川ならではの職人文化を今に伝えています。
誰もが楽しめる祭り ― 担ぎ手にも、遠方から訪れる人にも
深川八幡祭りの魅力は、地元の担ぎ手だけのものではありません。地縁のない人でも受け入れる懐の深さもまた、この祭りが長く愛されてきた理由のひとつです。
50数基もの神輿が一斉に街を練り歩く連合渡御は、担ぎ手にとって年に一度、あるいは3年に一度しか味わえない特別な体験です。仲間と息を合わせて重い神輿を支える一体感、水しぶきを浴びながら「わっしょい」を叫ぶ爽快感は、何ものにも代えがたいもの。町会によっては地元出身でなくても参加できる場合があり、深川に暮らし始めたばかりの人が地域とつながるきっかけにもなっています。
担がずとも、沿道で見物するだけで十分に祭りを満喫できるのも深川八幡祭りの魅力です。次々と練り歩く神輿の迫力、手古舞や木遣りが醸す江戸情緒、境内や永代通りに並ぶ露店グルメ。水鉄砲やバケツを手に水かけへ気軽に加われるのも、担ぎ手と見物客の垣根が低いこの祭りならでは。遠方から訪れる観光客にとっても、地元の人々の熱気にそのまま飛び込める、開かれたお祭りです。
深川の街とともに、これからも
創建から約400年、例大祭のはじまりから約380年。深川八幡祭りは、その時々の街の姿を映しながら、担ぎ手と地域住民の「和」をつなぐ祭礼として今日まで受け継がれてきました。木場の木材業や佐賀町の倉庫業が支えた江戸の下町から、マンションが立ち並ぶ現在の深川まで、街の顔は大きく変わっても、夏になれば「わっしょい」の声が響くこの祭りは変わらず街の誇りであり続けています。
ここまで読んで祭りへの想いが深まった方には、この夏発行される公認BOOK「わっしょい深川2026」もぜひ手に取っていただきたい一冊です。渡御ルートや各町神輿の見どころなど、今回ご紹介しきれなかった深掘り情報が満載です。
よくある質問(FAQ)
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