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コラム

スクラップ・アンド・ビルドの終わり。「あるものを活かす」が、経済合理性になる日


不動産やリノベーションの仕事をしていると、よく聞かれます。

「この古い建物、まだ使えるんですか」と。

倉庫の外壁に残る錆びた看板。昭和の香りがする木造の長屋。路地の奥に佇む、かつて町工場だった建物。そういうものを見て、多くの人は「古い」と感じます。でも私には、そこに街のストーリーが詰まって見えます。

2026年6月、国土交通省が「エリアリノベーション懇談会」の第1回を開いたという記事を目にしました。5月の都市再生特別措置法の改正で新たに設けられた「固有魅力維持向上区域制度」と「景観再生事業制度」の運用指針を議論する場です。

名前だけ聞くと、霞が関の話のように聞こえるかもしれません。でもこの制度が示している方向性は、東京に暮らす私たちにも直接つながっています。

「壊さない」という選択

これまでの都市開発の論理は、基本的に「古くなったら壊す」でした。老朽化した建物を取り壊し、更地にして、新しい建物を建てる。経済成長の時代にはそれが合理的でした。人口が増え、需要があり、経済も回る。新しいものへの欲求は止まりませんでした。

でも今、その前提が崩れつつあります。

79万戸

2024年 新築着工数
15年ぶりに80万戸割れ

900万戸

全国の空き家数
(直近推計値)

32年

日本の滅失住宅
平均築年数
(米66年・英80年)

そうした現実を踏まえ、国はようやくはっきりと「あるものを活かす」という方針を政策の柱に据えました。今回の制度で特に重要だと思うのは、歴史的建造物でなくてもいい、という点です。自治体が「この地域の固有の魅力だ」と認めれば対象になります。路地の雰囲気でも、下町の空気感でも、古い工場群でも、構いません。

これは小さいようで、大きな転換です。

世界はもっと先を行っています

「壊さない」という発想は、世界ではすでに当たり前になりつつあります。

「アダプティブリユース(Adaptive Reuse)」という言葉をご存じでしょうか。既存の建物を解体せず、その構造や歴史的背景、立地の文脈を活かしながら新たな用途に転換する建築手法です。

オランダ・ロッテルダムでは、使われなくなったオフィスビルが20年かけてクリエイティブな起業家たちのハブへと変わりました。スイスのチューリッヒ郊外では、工場を再生した複合施設が建物の70%を中古の建築部材で構成し、新築に比べてCO2排出量を60%削減しています。ニューヨークでは廃駅が新しい交通の拠点として生まれ変わり、ブリュッセルでは1970年代のビジネス街が建築家やアーティストの実験的な場へと転じました。

💡 カール・エレファンテ元会長(米国建築家協会)の言葉

「最もグリーンなビルは、既に建設済みのビルだ」

省エネ性能が高い新築ビルであっても、建設中に大量のCO2を排出します。その排出量は、既存の建物を運用し続けることで生じる排出量よりもはるかに大きい。つまり、壊して建て替えること自体が、環境への大きな負荷になっているのです。

ヨーロッパではEUが主導して古い建材の流通インフラを整備し、解体から出た部材を再利用するサプライチェーンが社会全体で組み立てられつつあります。今後10年で行われる不動産開発の90%が既存構造物のリノベーションやリユースに集中するという予測もあります。

「壊さない」は、もはや文化的な選択にとどまりません。経済的にも環境的にも、合理的な判断になってきています。

日本の「新築信仰」という壁

それに比べると、日本の中古住宅市場は長らく世界の常識と大きくかけ離れてきました。

住宅を取得する際に中古を選ぶ割合は、アメリカやイギリス、フランスでは7割を超えます。一方、日本は長らく1割台にとどまってきました。直近では30%程度まで上昇してきており、欧米との差は縮まってきていますが、まだ大きな開きがあります。

ただ、流れは明確に変わってきています。中古戸建の成約件数は2年近く連続で前年を上回り続け、逆に新築持家の着工は長期にわたって前年比マイナスが続きました。首都圏のマンション市場に限れば、中古が新築を逆転しつつあるという報道も出始めています。住み替え先として「中古住宅」を選ぶと答えた人の割合も、2003年の2.7%から2023年には23.7%まで増加しました。同じ期間に「新築」と答えた人は75%から43%まで下がっています。数字が、時代の変化を静かに示しています。

なぜそうなったのでしょうか。日本では、住宅は「建てた瞬間から価値が下がるもの」とされてきました。木造戸建ては築20〜30年でほぼ資産価値がゼロになる評価慣行があり、それが既存住宅の流通を妨げてきました。住む人が変わるよりも、壊して建て直す方が自然な選択肢とされてきたのです。

建てて、壊し、また建てる。このサイクルが繰り返された結果、街の中心部には空き家が増え、郊外に向かって新しい住宅地が拡がります。都市の密度は薄まり、商店街はシャッターを閉め、かつてのにぎわいが失われていきます。「新築信仰」は単なる好みの問題ではなく、街の衰退と直結していました。

ただ、ここへきて状況は変わりつつあります。資材価格の高騰と建設業の人手不足で新築価格は上昇を続け、若い世代を中心に「中古+リノベ」という選択が広がってきました。2024年のリフォーム受注高は1兆3,000億円を超え、市場は確実に動いています。

下町・深川という街が持つもの

深川でマンションのリノベーションに関わりながら、この街の変化を間近で見てきました。

古い工場を壊して新しくする、ではなく、その場所にあるものを活かしながら使い続ける。路地の奥の小さな倉庫が、人の集まれる場所になっていく。下町の空気感を壊さずに、新しい使い方が重なっていく。そういう積み重ねが、深川という街の今をつくってきたと感じています。

深川には「固有の魅力」が、そのままの形でたくさん残っています。古い木工所の高い天井。清澄白河駅前にある1933年築の「清洲寮」や清澄通り沿いに建ち並ぶ1928年築の「清澄長屋」、外壁に残る昭和の文字。東京の他のどこにもない、この街の密度と空気感。歴史の教科書には載らないけれど、長くここに住む人には「深川」を感じさせるものが、まだたくさんあります。

📍 東京・清澄白河 / 1928年築
清澄長屋(旧東京市営店舗向住宅)
関東大震災復興事業として建てられた鉄筋コンクリート造の店舗付き住宅

震災で失われた下町の商いと暮らしを再びこの場所に根づかせるためにつくられた、築約100年の長屋です。今リノベーションによって、カフェ、セレクトショップ、ギャラリーなど新たなお店が続々と出店しています。

業態は変わっても、通りの景色は大きく変わりません。店舗付き住宅という骨格が残っているからこそ、新しさが加わっても街の表情は保たれています。壊して建て替えていたら、そこには何も残りませんでした。使い続けることで、建物が持っていた時間の重みがそのまま場所の魅力になっています。

今回の制度は、そういうものを守る仕組みです。文化財でも、有名な建築家が設計した建物でもなくていい。この街に住む人たちが「これが下町・深川らしさだ」と思うものを、ちゃんと守る対象にできる。それは、特別なものだけを守る発想ではなく、普通の街の普通の個性を守る発想です。

街はストーリーでできています

不動産業界に長くいると、このような感覚を持つようになります。価値のある場所というのは、必ずしも新しくて綺麗な場所ではないということです。

その場所に積み重なった時間が、人を引きつけます。古い倉庫の天井の高さ。かつて工場だった建物の重厚な外壁。昭和の匂いがする路地を歩くときの感覚。そういうものは、お金を出しても簡単に買えるものではありません。時間をかけて積み上げた街のストーリーだからです。

リノベーションという言葉は今や広く知られていますが、本質はそこにあると思っています。単に建物を改修することではなく、その場所のストーリーを引き継ぎながら、新しい使い方を見つけること。そしてそれは、建物単体の話ではなく、エリア全体の話でもあります。一つの古い建物が再生されると、周りに人が集まり、隣の空き物件が動き出し、街全体の雰囲気が少しずつ変わっていきます。

制度はできた。でも現実はもっと複雑です

「エリアリノベーション懇談会」が動き出したことを知ったとき、正直こう思いました。「ようやく動き出したか、でもまだ遅い」と。

現場では10年も20年も前から、このような発想で動いてきた人たちがいます。東京でも、全国各地の街でも。「あるものを活かす」という考え方は、別に新しくも何ともありません。ただそれを国が制度として認めるまでに、これだけ時間がかかった。しかも、制度ができたからといって現実が変わるわけではありません。

📉 相次ぐ大型再開発プロジェクトの頓挫
「壊して建て替える」が成り立たなくなっている
中野サンプラザ再開発
当初1,810億円だった事業費が3,500億円超に膨張。区と事業者グループは基本協定を解除し、計画は一旦白紙に。
新宿駅西南口開発事業
2024年12月着工予定だったが施工者が決まらず、完成時期は「未定」に。
日経新聞の調査(進行中の再開発事業)
8割弱で完了時期の延期や費用の増加が発生。見直し後の平均で期間は2.7年延び、費用は2割膨らんでいる。
建築費指数は2015年比で35%以上上昇し、高止まりが続いています。「壊して建て替える」という選択肢が、経済的に成り立たなくなってきているのが今の現実です。

つまり「あるものを活かす」は、理念の話ではなく、経済合理性の話になりつつあります。国が制度を作ったのは、その流れに乗ったともいえますが、現場の実態からすればまだまだ遅く、まだまだ足りません。制度があっても、リノベーションのコストも上がっている。解体費も上がっている。融資の壁もある。使い続けたくても、簡単ではない現実がそこにはあります。

📌 防災と耐震性という、避けて通れない問題

古い建物を活かすことと、安全性を確保することは、同時に考えなければなりません。旧耐震基準(1981年以前)の建物が全国にまだ多く残っており、能登半島地震でも古い建物の倒壊が相次ぎました。「残す」という選択をするなら、耐震補強にどう向き合うかをセットで考える必要があります。

ただ、耐震補強や修繕工事のコストもまた高騰しています。残したくても、費用が現実的でないケースが出てきています。「壊すこともできない、直すお金もない」という状況が、全国各地で静かに広がっています。これは制度だけでは解決できない、より深い問題です。

嫌なニュースの裏側にあるもの

毎日のように、しんどいニュースが続きます。資材価格の高騰、人件費の上昇、インフレによる物価高騰、不動産価格や家賃の値上がり。暮らしに直接響く話ばかりで、先行きが見えにくいと感じている方も多いと思います。

でも私は、この状況を少し違う角度から見ています。

新築が高くなったから、中古に目が向く。建て替えにコストがかかるから、今ある建物を活かそうとする。そういう発想の転換が、社会全体でじわじわと起きています。長年変わらなかった「新築信仰」が、経済的な現実によって崩れ始めているのです。

これは、街にとっては大きなチャンスだと思っています。価格が上がれば上がるほど、「場所の個性」と「ストーリー」に価値が移っていきます。どこでも同じような新築マンションより、その街にしかない古い建物を活かした空間の方が、選ばれるようになっていく。深川のような、固有の魅力を持つ街が、相対的に面白い位置に立てる時代になってきています。

✏️ 柴田の所感

壊さないことが合理的になり、古いものに価値が生まれ、国の制度もその方向に動き出した。三つの流れが重なっているのが、今この瞬間です。

痛みを伴う変化の時期であることは確かです。でもこういうときこそ、街や建物との向き合い方が根本から変わる転換点になります。嫌なニュースの多い時代ですが、見方を変えると、街が本当の意味で豊かになれる変わりどきでもあると、私は思っています。

著者:柴田光治
株式会社トラストリー 代表取締役 / 深川くらし編集長
江東区深川を拠点に不動産・まちづくりに携わる。マンションリノベーションの仲介・サポートを通じて、この街の変化を間近で見続けてきた。「深川たてもの相談所」を運営し、管理組合運営・大規模修繕工事へのアドバイスも手掛ける。

本コラムは情報提供を目的としております。統計データは各掲載元の公開情報に基づきますが、最新情報は各機関のウェブサイトでご確認ください。個別のご相談については専門家へお問い合わせください。

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